白天目茶碗は和物の天目の中でも価値が最も高く、重要文化財にも登録されています。
しかし、実際に見ることができる数がとても少なく、その情報はほとんどございません。
そんな白天目の特徴や歴史をこの記事でまとめてご紹介させていただきます。
白天目茶碗(しろてんもくちゃわん)とは
しろてんもく・はくてんもくと読み、その名の通り、白い器面の天目茶碗のことを指します。
生産は日本だけでなく、朝鮮や中国で作られており、白天目の定義はあいまいで、作り方も様々です。
たとえば朝鮮産の白天目は白土を刷毛で塗る「刷毛目」とう呼ばれる技法により作られます。(徳川美術館収蔵)
しかし、日本の美術品を語る上で「白天目」という言葉は主に室町時代に美濃で作られた和物の白い釉薬の天目茶碗を指します。
和物の白天目は数がとても少なく、確かなものとしては、徳川美術館が所蔵している重要文化財、前田家に伝来していた個人蔵の重要美術品の2碗が知られているだけです。
この白く落ち着いた風貌が当時の茶の湯の侘茶(わびちゃ)を現しています。
侘茶を追求した室町時代の豪商、茶人である武野紹鴎(たけのじょうおう)が所持していたとも考えられています。
少し時代が後の安土桃山時代ものは骨董屋に並ぶこともございますが、とても稀であり、室町時代のものとはまた違った風貌です。
白天目の歴史
もともと天目茶碗は中国から輸入したもので、南宋から元、明時代の建窯や吉州窯などで作られたものでした。
日本独自のものは13世紀に瀬戸で始まり、15世紀には美濃で天目茶碗の生産が始められます。
茶の湯の流行により日本での需要が高まり、中国の天目茶碗に倣って日本でも生産がされます。
その中で当時日本で用いられていた白く発色する釉薬で作られたのが白天目です。
桃山時代後期16世紀になると名品とされる白天目が大窯で作られます。
近年、徳川美術館の白天目と同様の破片が多治見市小名田窯下窯から発見され、この窯が焼かれた窯である可能性も出てきています。
白天目の特徴
時期や窯により主に2種類の釉薬が使われ、一つは灰釉、もう一つは志野焼にも施していた長石釉です。
初期のものは全体がやや緑色がかり、見込みや腰の釉薬の溜まりが濃い緑色の発色をいたします。
高台と腰部を残して露胎せて釉薬を内外面に施します。
素地は美濃陶磁器らしくは淡い卵殻色の白い土を使うものが多いですが、初期の大窯の品では鉄分の含まれていた土も使用がされていました。
形は大窯の時期により変わりますが、胴は多少丸みを帯びハの字に膨らみ、口縁部下から垂直に立ち上が端を尖らせているもの、もしくは口縁部が小さなくびれがあるものがございます。
高台はほぼ垂直に立ち上がり、輪高台もしくは内反りにしたものがございます。
また、安土桃山時代に入っての白天目は全く別物とも言えますが、段をつけた「段付き白天目」も作られました。
当オンライン美術館おすすめの白天目
白天目茶碗『紹鴎白天目茶碗』
室町時代後期で大窯1期と考えられ、日本でも古い灰釉の天目茶碗の一つです。
胎土に長石粒を含み、焼成時にそれが溶けて灰釉と混ざり、器面を品のある緑がかった白色が覆います。
土は長石混じりの鉄分の多い土と思われますが、特別注文の為か色々の土を混ぜて作られた可能性があります。
腰に玉のような大きな釉溜まりと茶溜りにも濃い緑色のビードロ調の溜まりを見せます。
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段付き白天目
安土桃山時代に作られた白天目で腰と胴に段差がつきます。
口縁部は内側に窄まり、茶跳ねを防ぐような機能が備えられます。
乳白色の釉薬が高台を除く全体にかけられ、腰まで覆うなど室町時代の白天目との違いがございます。
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いろんな天目を見比べてみてください
当オンライン美術館では天目茶碗の生まれである中国の建窯や、それに次ぐ名窯である吉州窯、磁州窯などの天目茶碗を掲載しております。
形のわかるさまざまな角度の写真、釉薬の拡大写真などを掲載しております。
美術館に行く前の予習、行った後の復習として是非ご覧いただければと思います。
生まれである中国と日本の白天目、菊花天目などの違いをその目で確かめてみてください。
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