曜変天目茶碗とは約800年前の中国の宋時代にて建窯で焼かれた黒釉茶碗のことです。
その茶碗はとても美しく、光り輝く斑紋と光彩が特徴です。
しかしながら、この南宋時代に作られた曜変天目は世界でも3つしかなく、その全てを日本が所有しているとても珍しいものとなっています。その内3碗は国宝と認定されており、東京の静嘉堂文庫美術館、京都の大徳寺流行院、大阪の藤田美術館が所蔵しております。
しかし、桃山時代には10碗は存在していたとされ、そのうちの一つは実は織田信長が所有していたとされています。
この茶碗はその曜変天目に加えて新たに4つ目とされる可能性を持っている茶碗で、織田信長が持っていたものではないかと考えられています。
そして、それは中国にて最も最上級の茶碗といわれた「毫変盞」である可能性もございます。
毫変盞とは中国の建窯で焼かれた天目茶碗の一種であり、北宋の書「茶録」におりて「その価は甚だ高く且つ得ることができない」と記されていた幻の天目です。
その名の通り、毫=禾、変=曜変、盞=茶碗という意味で、禾目の曜変の茶碗であると考えられます。
この茶碗は曜変天目と同じような模様の配置でありながら、その模様は油滴ではなく、釉薬が流れたことでできている禾目模様です。
拡大してみると「黄色、白色、濃い瑠璃色、薄い瑠璃色が混ざって錦のような模様」となっていることがよくわかります。
この模様は室内の光程度ではくっきりを見えず、強い光を当てることで強く発色する点は、国宝の曜変天目と同じです。
しっとりとした黒釉と、豹柄のようにも見える模様は存在感があります。
形は国宝の曜変天目に比べて少し厚みがあることから、北宋から南宋の初めに作られたものと考えられます。
天目茶碗で一番標準的な形状である束口碗であり、腹部からなだらかに挽き上げられ口縁部下部で一度内側に窄まっています。
高台から見える土は、古い建窯で多く使われていた黒茶色のねっとりとしたものを使用しています。
yohentenmoku.comより特別掲載です。
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The Yohen Tenmoku tea bowl is a black glaze tea bowl that was baked in a Chinese Jian ware in the Song dynasty about 800 years ago.
The bowl is very beautiful and features brilliant spots and brilliance.
However, there are only three Yohen Tenmoku made in the Southern Song Dynasty in the world, and all of them are very rare in Japan.
This bowl may be the fourth one.
The pattern is not an oil spot, but a fur glaze made by flowing glaze.
When enlarged, yellow, white, dark lapis lazuli, and light lapis lazuli are mixed to form a brocade-like pattern.
This pattern is not clearly visible in the light of the room, and it develops a strong color when exposed to strong light, similar to the national treasure Yohen Tenmoku.
The moist black glaze and the pattern that looks like a leopard print have a strong presence.
Since the shape is a little thick, it is thought that it was made from the Northern Song Dynasty to the beginning of the Southern Song Dynasty.
It is the most standard shape of Tenmoku bowl, and it is gently ground from the abdomen to the top and once narrowed inward at the lower part of the rim.
The soil that can be seen from the foot is the black-brown sticky soil that was often used in old Jian ware.
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| 名称 | 毫変盞(曜変天目) |
|---|---|
| 時代 | 中国・宋時代(960〜1279年) |
| 国 | 中国 |
| 分類 | 陶磁器 |
| 釉薬 | 鉄釉・黒釉 |
| 所有者 | yohentenmoku.com |
| 管理番号 | 000001 |
| Title | Gohohensan(Yohen tenmoku) |
|---|---|
| Period | Song dynasty (960–1279) |
| Culture | China |
| Classification | Ceramics |
| Glaze | Iron Glaze(Black) |
| owner | yohentenmoku.com |
| Number | 000001 |
スペシャルサイト
この曜変天目(毫変盞)を研究しているスペシャルサイトです。
本当に信長の曜変天目なのか。世界に最高峰と言われた千年前の北宋の毫変盞なのか。
その真贋を明らかにするために研究をしています。
>この曜変天目は信長の愛した本物か
北宋 建窯 曜変天目(曜卞天目・芒曜天目・毫変盞)
この茶碗は広義には曜変天目に属するが、現存する殆どの曜変は油滴の曜変である。それに対し、これは禾目の曜変であり、現在では世界でただ一点の存在となる。
また、中国では兎毫盞の曜変を毫変盞という。「茶録・北宋」には、この世に一つしかなく、値がつけれないほど高く、線状紋が万遍なく全体の器面に現れていると書かれている。
日本では、1420年頃の禅林小歌に、曜下の文字が登場する。これは、下=卞=弁=冠をあらわし、冠の中で曜=星が輝くことを意味し、曜卞天目と言った。そして1511年には、能阿弥相伝集を得て、初めて君台観左右帳記に曜変が登場する。曜変の前段「地いかにも黒く、こき瑠璃、うすき瑠璃の星ひたとあり」これを曜変天目という。日本の全ての曜変天目はこれに属する。後段「又、黄色、白色、濃く薄き瑠璃なとの色々混じりて、錦のやうなる薬もあり」これを芒変天目という。前段と後段を併せ持つものを芒曜天目という。
芒曜天目とは、芒=禾である為、禾目の曜変天目であり、星が錦=織物の様な模様で囲まれた部分でのみ、輝いている。まさしくこの茶碗の説明である。また、芒曜には光彩や斑紋の問題は存在しない。それから釉薬には、鉛やタングステンは使われていない。現在のコピー品は、化学顔料を塗り自ら発色する茶碗が多いが、作りや釉調、釉薬の出方、全てにおいて稚拙であり、直ぐに現代物とわかる。拡大鏡「120倍程度」で見れば、禾目の出方など建窯瓷(二玄社)に書かれた通りである。
しかし、この茶碗の線状の部分は光彩の様な輝き方をする部分がある。また、芒曜天目ができる可能性は、曜変天目10個に芒曜1個の割合で有るため、おそらく千年前から世界に1点のみと考えられる。因みにこれは、伝世品であり、伝来もなく名古屋で、発見された為、本能寺の変で消失した信長所持の曜変天目ではないかと噂された物でもある。現在、曜変天目と違い芒曜天目の研究者は存在しないため、自説を添えた。
中国では、北宋の「茶録」に毫変盞<毫=禾=芒、変=曜変、盞=茶碗>として登場し、その価値は甚だ高く且つ得ることができない高価な茶碗であったと書かれている「方輿勝覧・祝穆著」。また、その特徴として、満遍なく模様があるとも書かれていた。これは、茶碗の内側も外側も両側に模様があるという意味で、油滴天目や禾目天目と同じと考えられる。曜変天目の中では、両面に模様があるものは、これ1点のみとなる為、両側にあるものは逆に珍しくなると考える。曜変の順位についても、禾目、油滴、曜変、毫変盞と最高位になっており、現存するものはないと言われている。但し、現在宋代に2度掛けで模様を書いた毫変盞「建窯1号窯<大路後門山>出土、福建省博物館」は存在するが、本物の毫変盞は釉薬を1度だけ浸し掛けで施釉して焼いた<1度掛け>物であるため、これとは作り方や模様の出方など全然違うものと考えられる。
ただ、この茶碗は1度掛けの為、模様は全て自然に出たものである。理由は、後日説明する事とする。しかし、ベテランの陶芸家が見れば、この茶碗が1度掛けで作られたぐらいの事はわかる筈である。高台も北宋の形であり、腕も厚胎厚釉で、その時代に流行したものである。釉薬の成分は、建窯で宋時代に使われていた物と全て同じである「すでに、公表されている、建窯の釉薬成分の数値と同じものが使われていた事が、蛍光X線検査で証明された為」。それから、拡大顕微鏡で見れば、線状紋の周りに鉄の黄色い球体が下から湧き出た様に沢山付着している事がわかる。描いたり、吹き付けたものとは全く違うので、すぐに分かる筈である。
毫変盞は、禾目の曜変である為、その模様に特徴があり、君台観左右帳記の曜変の項目の又書きにある、錦の様な薬もあり<縦糸と横糸編んで作られた織物の様な釉薬もあり>とあるように、いわゆる線状紋であり、曜変天目の斑紋や、光彩よりも模様の出方に特徴がある。普通、釉薬は、上から下に流れる。この茶碗は、線状紋が横や斜めに流れている。これが自然に出来たとしたら、あり得ない確率となる。また、釉面は凸凹でなくツルツルである。現代のスピネル顔料の天目茶碗とは似ても似つかない物である。
それから、殆ど知られていないが、曜変天目の模様の配列には、曜変、芒変、芒曜全てに共通の規則性が見られる。静嘉堂の国宝の曜変と良く似た模様の配置となっている。しかし外側は、この茶碗だけの独自の模様と配置になる。そして、兎毫<禾目>の模様も、色も、他の曜変天目とは全く違う。毫変盞は、日本では、芒曜、芒変にあたると考えられる。何故ならば、芒曜、芒変も宋代の建窯の物だからである。
700倍程度の拡大顕微鏡で見れば錦の様な模様が釉薬の内側から立体的に現れていることがわかる。また、色に関しては、君台観左右帳記に書かれた通りで、瑠璃、濃い瑠璃、黄色、白の4色のみで、赤や緑などの色は存在しない。また、これは、現代のコピー品に使われるスピネル系の顔料の色とも違う『黒い部分も青い部分もMgOもAl2O3も殆ど同じ数値であった。蛍光X線検査』。また、曜変天目の色は自ら発色しない。光を当てれば、それに反応して発色する構造色である為、スピネル顔料の色とは全く違う。この茶碗は、光を当てなければ、本当に暗い色調である。
それから形は、束口碗であり北宋に近いと思われる。それは、器胎が厚く、底が深く重いからである。高台は、古い建窯の典型的な黒茶色のネットリとした土であり、高台内の渦巻状の模様も荒い。大きさは、静嘉堂文庫の曜変天目茶碗とほとんど同じで、形状も良く似ている。しかし、模様は国宝の曜変天目「殆ど内側にのみ光彩や斑紋現象が生じる」とは、根本的に曜変の模様のでき方や時代が違う為、別物と考えられる。
スピネル顔料天目茶碗
コピー物の曜変天目の釉薬は、スピネル顔料等で描いたり、掛けたり、塗ったりしており、拡大鏡で見れば内側から現れたものでなく、上から顔料を載せたように見え、模様は上と下では線の厚さが違うことと模様の下の部分は膨れ上がる。手で触れば凸凹しているので容易に理解できる。また、暗い所でも綺麗に自ら発色しているので、この茶碗とは全く違い200年前後に造られた物と思われる。
芒曜天目の現状
ところで、これが世に出されたとして、見たことがない物を、誰がこれを曜変の芒曜天目と証明し説明できるのか。現在、芒曜天目の研究家は存在しない。数年前、何でも鑑定団なる番組で、曜変天目の偽物騒動が起きたが、あの茶碗レベルならば本物とかなり違和感があり、偽物とすぐに分かる。そもそも、高台や茶碗の形、釉薬の色、模様、かせ方、貫入の入り方等で判断する為、あれが、書いた物か、吹き付けた物か、容易に理解できる。そして陶器の研究家ならば、釉薬の線状紋の模様の真ん中部分が垂れ下がり、他の部分と色が違っている。その色は構造色で無く、暗くても自ら発色しているスピネル顔料の色である。芒曜天目の本物は、釉薬の内側から湧き出る様な形となる為、線は細く上下同じ太さとなり、色も黄色、濃い瑠璃色、薄い瑠璃色、白色の4色で、どちらかというと暗い色調であり、光を当てるとキラキラ輝く構造色である。鑑定団を見たとき、現代のコピー品で芒曜天目を模した物であると分かった。芒曜とか芒変という言葉は、17世紀の和漢茶誌にも登場するが、見た者がいない為、現在では絵空事となっている。
信長の曜変天目について
ところで、現代の日本で、本能寺の変で焼失した曜変天目が発見された場合、誰が認めれば、曜変天目となるのだろう。
ある曜変天目の研究家という学芸員が、信長の曜変天目がこの世に存在している可能性のことを言っていたが、どういう茶碗が信長の曜変天目茶碗なのか分からない筈である。本能寺の変で焼け跡から、曜変天目の破片が見つからないので、どこかに存在する可能性があっても、どういうものか分からないのに、約500年後、誰が証明できると言えるのだろうか。
現在、曜変天目は数点存在するが、芒変天目、芒曜天目は世界にこの1点のみ、これは文献を読み解けば、日本が見出した曜変天目の最高峰のものである事がわかる。陶芸美術の分野では、日本が世界に誇る国宝は殆どが中国品、その中で、日本にしかない曜変天目、そして室町時代に存在した、芒変天目、芒曜天目は、現在1点も確認されていない。中国では、これに似た偽物もたくさん存在するが、拡大顕微鏡や蛍光X線検査で釉薬の成分分析をすればすぐに分かる事である。また、高台、釉調、形、貫入、色等を見ればだいたい分かる。特にこの茶碗は伝世品の為、その当時「宋代」のものであるかは、知識や経験のある研究家ならば分かる筈である。
科学的検証と鑑定結果
いずれにしろ、現在では、鑑定できる者や研究者が存在しない為、独自に調べ、結論を出すことにした。そこで私は、先ず日本と宋の時代の文献を検証し、釉薬や土の成分蛍光X線検査で分析し、拡大顕微鏡を使い、色々な分野の研究者の意見も参考にして、検証した次第である。
そして、調査、研究の結果として次の様に結論づけた。
先ず第一に、この茶碗が作られた時期は、北宋から南宋の初めと考える。理由は茶碗の胎の厚さや高台の形、重量から判断した。サイズは、静嘉堂文庫の曜変天目と高さ、口径、高台径等、ほぼ同じ形である。また、模様をよく見ると、何か書いた様に思えるが、これを拡大顕微鏡で見ると線状のまわりに鉄の玉の様な結晶の球体が沢山、下から湧き出ている様に見える事から、自然現象と考える。そしてこれは、油滴から禾目になる現象で建窯磁<二玄社>にも書かれている。現代のコピー品は、700倍程度の拡大鏡で見れば、平面的で、上から色々な色の模様を乗せた様に見える為、すぐにわかる筈である。
今回、これを立証するため、中国で曜変天目の現代のコピー品を数碗買い、比べたところ、すぐに違いが理解できた。それから、現代のコピー品は、釉薬だけで無く、高台や茶碗の形、土等、どこを見ても、稚拙であり宋代の建窯とは違う事が分かる。
最後に、この芒曜天目を蛍光X線検査で成分分析を行った。釉薬の顔料は、当時の宋代の鉱物だけ検出され、現代のコピー品に使われるスピネル系の顔料の成分、タングステンや鉛などは殆ど検出されなかった。
勿論、検査データや、根拠資料は、エビデンスとして、いつでも立証できる様に保存してある。
文献による検証
そもそも曜変が登場するのは、日本では、鎌倉時代の1280年前後に書かれた円覚寺の『仏日庵公物目録』で、その中に「窯変」が登場する。
次に室町時代の『新札往来』1367年と『桂川地蔵記』応永年間には「容変」が登場する。
そして、1420年ごろ『禅林小歌』には「曜下」が登場する。ここで、曜は日、月と水、火、木、金、土の星をあらわし、下は、卞=弁=冠を表す。要するに、冠の中で、星が輝く茶碗である事を意味する。この中の「曜変 光を持ち毒を謝す」は、光を当てると線状の模様がより浮き出て、まるで毒を吸い取る様に見えると解釈する。
それから、『能阿相伝集』にはじめて「曜変」が登場する。この中で、「曜変、天下に稀なる物なり、薬の色如豹変建盞の内の上々也」とあり、この意味は曜変は天下でも稀に見る茶碗である。釉には豹皮の様な模様が茶碗の上部に多くあり、素晴らしい物である。この茶碗の内側の上部に豹皮の模様の様に見える紋様がある。
最後に足利義政の東山御物を「君台観左右帳記」にまとめ、その中で、「曜変、建盞の内の無上也。世上になき物也。地いかにもくろく、こきるり、うすきるりのほしひたとあり。又、き色・白色・こくうすきるりなとの色々ましりて、にしきのようなるくすりもあり。萬疋の物也」曜変天目は、天目の中の極上でこの世にない珍しい物だ。地色は真黒で、濃い瑠璃色や薄い瑠璃色の星が、沢山散らばる。又、これとは別に、黄色、白色、濃い瑠璃色や薄い瑠璃色など、様々な色が交じり、錦の編み物<線状紋>の様な釉薬の天目茶碗もある。これらは萬疋の値打ち<現代の価値で言うと約2億円の価値がある>がある。この又書き以降部分が、この天目茶碗の記述と考える。
芒曜と芒変
ところで、この君台観左右帳記の曜変天目の項の内容を昭和に新しく2つに分け、前段を曜変天目と後段を芒変天目、2つの性質を合わせ持つ物を芒曜天目とし、3種類あると今泉雄作が発表した。『「天目茶碗考」塚本靖、昭和10年9月、学藝書院。』しかし、現存しているものがなく、誰もみたことがない為、机上の空論となっている。芒曜や芒変の名称は、「和漢茶誌」三谷宗鎮著 1727年に登場する。当時は曜変天目の伝承や伝聞として、書などが残っていたのかもしれない。
いずれにしろ、これら曜変天目の書かれた文献全てにこの芒曜天目が該当し、説明できる。
それからこれが、もし、本能寺で焼失したとされる信長所持の曜変天目ならば、伝来の書は、当時の状況からして、清須からの信長の近習が、茶碗だけを体に隠して運び出したとしたら、存在する筈がない。現在、曜変天目の曜変である『国宝の3点』だけが、本物の極上品の扱いとなっているが、「名物目利聞書」によれば、『東山御物の曜変天目は、信長に伝えられ、本能寺で焼失した為、稲葉丹州公の曜変天目が最高の物となったとある。』
これを読み解けば、信長に伝えられ、本能寺で焼失していなければ、信長所持の曜変天目は曜変の中で最高の物と読み取れる。また、この芒曜天目は毫変盞の可能性もあり、当時から中国では最高の物と伝えられ日本の最高権力者に伝世していたと考えられる。当時、曜変天目は数碗存在しており、これより珍しい線状紋の芒曜天目を信長が肌身離さず特別に持っていたので、本能寺の茶会の38品には数碗あった曜変天目は入れてなかったとも考えられる。
その為、仮説ではあるが、鎌倉時代から存在した曜変天目は、毫変盞であり曜変天目の最上位にある芒曜天目と考えた。これが信長の曜変天目ならば、全てに辻褄が合う。この茶碗は、もっと研究しなければならないが、この茶碗を見た事もない人が多いので、条件が揃った為、世に出そうと考えた次第である。
もし、この茶碗が、もっと早く見つかり、今泉雄作氏に見せることが出来たらと、悔やまれてならない。何も見ずに、曜変天目を3種に分類し、あたかも芒曜を見たかの如く見事に曜変天目が分類した功績は、計り知れない。
鑑定について
この茶碗は、世界に存在しないとされた毫変盞であり、芒曜天目の可能性があるが、鑑定家も専門家も存在しない。学者や専門家の肩書き鑑定は意味をなさず、いろんな分野の実践研究家の話を参考にしなければならない。その為、現代の技術を駆使した精密な科学的調査<8Kカメラ、電子顕微鏡、蛍光X線分析>をしない感覚的な鑑定は、意味をなさない。見たこともない毫変盞や芒曜天目の鑑定など、誰もできるはずもないからである。しかし、この茶碗が何物であるかの正当な議論や意見や大歓迎であるので、この茶碗が何物であるか判明する迄、知識をお持ちの方は協力をお願いする次第である。
以上
※注 この説明文は、研究会の資料を集め文を繋げただけの為、同じ内容が重なっている部分があり、読みにくいと思いますが敢えて推敲してません。
※注 この資料には、高台の写真や蛍光X線検査資料は敢えて掲載していません。 ※注 芒曜天目の線状紋の出方には、理由があります。これは曜変天目も同じ理由です。今後、公表する予定です。
Wan Chou 著
