鍋島焼(なべしまやき)とは|佐賀藩の御用窯で生まれた磁器の歴史や特徴を解説

鍋島焼は陶磁器で有名な伊万里にある藩直営の窯でした。
そこで作られた染付や色絵磁器は高級品として将軍や大名に愛されるほどと言われます。
そんな鍋島焼の歴史や特徴、伊万里焼との関係性を解説いたします。

鍋島焼(なべしまやき)とは

鍋島焼は17世紀から19世紀に佐賀藩(鍋島藩)にあった藩直営の窯で焼かれた磁器のことを呼びます。
陶磁器の代表的な生産地であった肥前国の有田・伊万里の中にあり、現在の佐賀県伊万里市南部の大川内山(おおかわちやま)に開かれました。
藩直営の窯(御用窯)であり、将軍家や諸大名への贈答品として高級品を焼いており、器面に描かれた絵も伊万里焼と比べてもとても精巧でした。
鍋島焼という呼称は当時から言われたいたものではなく、近代以降に使われるようになります。
鍋島または、伊万里焼の一様式として鍋島様式とも呼ばれます。

鍋島焼の歴史

日本では16世紀末ごろまで陶器が主流であり、白磁や染付をはじめとする陶器は中国や朝鮮半島からの輸入品ばかりでした。
17世紀初頭の文禄・慶長の役の際に豊臣秀吉や諸大名らにより、朝鮮から陶工が九州に同行し、彼らの技術を持って九州にてさまざまな窯が開き陶器の生産地ができます。
有田やその周辺の窯でも朝鮮の陶工により陶磁器が焼造される様になり、伊万里の港から出荷された伊万里焼により白磁などの磁器も生まれます。
伊万里焼は伝承によると1616年に朝鮮出身の陶工・李参平が有田の泉山で白磁鉱を発見し、天狗谷窯もしくは有田で生産が行われるようになったと言われています。
磁器の始まりについては諸説ございますが、1610年代の肥前国であることが定説となります。

藩窯による鍋島焼の始まり

磁器窯としての伊万里焼が確立されていくと共に、藩窯による製品の鍋島焼が作られる様になっていきます。
しかし、この時期や開窯理由などは公式の記録がなく、明らかになっておりません。
一説によると鍋島焼は1628年(寛永5年)に有田の岩谷川内(いわやがわち)にて窯が創始されたとされています。
その後、1661年頃には南川原(なんがわら)に窯を移し、更には1675年、有田と伊万里の間の大川内山(おおかちやま)山中に窯が移されたと言われます。
これ以外にも鍋島焼き時期については1640年代末に岩谷川内にて創始し、1660年代に大川内山へ移転したとされ、南川原は一時的に並行して一部の製品が作れていたという説もございます。

その後、大川内の藩窯は1871年(明治4年)の廃藩置県により鍋島焼は歴史を終えますが、その技法は今泉今右衛門によって復興と継承がされていきます。

鍋島焼の製品の特徴

大川内の藩窯で作られた鍋島焼の主力製品は皿や向付などの食器、また少量ですが香合が作られていました。
他の窯で作られていた茶陶や壺、瓶子などは現存するもののごく少量でした。
鍋島焼の皿は木盃形と称される形状で、高台が高く、高台から縁にかけてカーブする形状のものが主でした。
円形の皿は直径が3寸、5寸、7寸、1尺と規格化されており、中でも1尺(約30cm)の大皿は同模様のものがない1点もので珍重され価値はとても高くなります。
向付や小皿は同模様のもので5客や10客で人組で作られました。

鍋島焼の技法

鍋島焼は色絵を描いた「色鍋島」、染付を施した「藍鍋島」などさまざまな技法がございます。

染付/藍鍋島(あいなべしま)

藍鍋島楼閣山水文方形皿素地上に青一色で文様を描いたもので、模様の呈色剤に呉須(酸化コバルト)を用います。
製作時期によりやや製作技法が異なり、素地の上に直接文様を描くもの、一度素焼きした素地の上に文様を描くものがあり、上から透明釉を掛けて高火度で還元炎焼成(窯内に空気が少ない状態で焼成)いたします。
還元炎焼成することで模様が青色に発色いたします。

色絵/色鍋島(いろなべしま)

染付をした器の上に上絵付けをし、低火度の酸化炎で再焼成するものです。鍋島の色絵は赤、黄、緑の3色のみを使用するのが原則ですが、稀に黒や紫も用いました。また、伊万里焼に見られる金彩はほぼ使われません。

青磁

素地に灰釉を掛けて高火度で還元炎焼成することで、灰釉に含まれる酸化第二鉄が酸化第一鉄となり青緑色に発色します。鍋島焼では無地の青磁だけでなく、青磁に染付や絵付をした「青磁染付」や「青磁絵付」などもございます。

墨はじき

墨で抜き文様を施す技法です。あらかじめ白く抜きたいところを墨で絵を描き、墨に含まれる膠(にかわ)が呉須など弾くためマスキングがされます。この墨は再度焼成することで吹き飛び、白い輪郭の模様を作ることができます。
鍋島焼ではこの技法を用いて、青海波文や七宝つなぎ文などの細かい地文も描きます。

瑠璃釉

染付に使う呉須を透明釉に混ぜ、釉薬として用いて全体を青色に発色させた陶磁器。

錆釉

酸化第一鉄を呈色剤として用い、酸化焼成することで茶系色に発色した陶磁器

鍋島焼の模様

雪輪文、更紗文のような幾何学模様や、植物や野菜、壺などの図、山水などの風景画を純和風の画風で描きます。
鍋島焼はその当時の流行や斬新なデザインを取り入れる傾向にあり、大根、茄子といった卑俗な題材も大胆に図案としています。
松葉、青海波といった細かい模様の線まで正確で、染付の濃淡は滲みやムラも残らない正確さです。
10客1組の小皿であっても各々に大きな差はなく完璧な文様を再現します。

当オンライン美術館で見れる鍋島焼

藍鍋島楼閣山水文方形皿

藍鍋島楼閣山水文方形皿

鍋島焼の角皿の代表的な模様で、楼閣、遠くに霞む山、近くの丘、樹木などを添えた風景模様を描きます。
楼閣は線も細く、床下の根太、床束はしっかりと立体的に、屋根の鴟尾もずれることなく丁寧です。
裏面隅には牡丹文が描かれ、濃みも立体的で美しい仕上がりです。

↓この陶磁器の詳細はこちら↓

鍋島焼きは伊万里焼の最高峰に位置づけられ、そのルーツは中国や朝鮮半島から伝わった染付にございます。
伊万里焼が中国の景徳鎮を範として模様を描かれており、鍋島焼は和風の日本画に近い印象を受けます。
当オンライン美術館では多くの染付のコレクションを掲載しておりますので、是非そちらと比べて違いを感じてください。

伊山大策

伊山大策

名古屋ビジュアルアーツ写真学科在学中より瀬戸焼の陶芸作品撮影を続ける。11年前に愛知の古美術研究にて陶磁器の知識を学ぶ。写真スタジオに3年勤務したのち、広告やWEBサイトの制作を手掛けその経験を活かし、古陶磁美術品の良さを広めるために当サイトを開設いたしました。

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