7世紀から続き今なお焼かれる三重県を代表する陶器の「伊賀焼」。
桃山時代には武将茶人の古田織部により、お庭焼として豪放で力強い茶陶が焼かれました。
この時代の伊賀焼は「古伊賀」と呼ばれ多くの美術館に収蔵されています。
そしてその時代の作風はいまでも作り続けられています。
そんな歴史があり、人気の高い伊賀焼について、種類、歴史や特徴について解説いたします。
伊賀焼(いがやき)とは
三重県伊賀市にて焼かれている陶器を伊賀焼と言います。
その発祥は7世紀前後と言われ、古琵琶湖地層の細かな気孔のある土などを用いて陶器を焼きました。
その作風は信楽焼に似た自然釉による土色を生かしたものでした。
しかし、茶の湯が盛んになった17世紀初めの桃山時代には古田織部の指導により、形や釉薬に作為性の強い陶磁器が作られるようになります。
この頃の伊賀焼の多くが珍重され美術品としての価値も高いとされます。
伊賀焼の歴史
伊賀焼の発祥
7世紀前後に発祥し、古琵琶湖地層の土を用いて農業用の種壺や生活雑貨を焼いたのが伊賀焼の始まりされています。
琵琶湖は400万年前には今よりも小さく場所は伊賀の位置にあったとされています。
その後、琵琶湖は皆が知る位置に移り、古琵琶湖のあった地が隆起し伊賀になったと言われます。
その古琵琶湖の地層には植物や微生物の化石が含まれており、高温で焼くことで化石が燃え、細かな穴が無数に開いた焼き物になりました。
この焼き物は保温性に優れておりました。
伊賀焼の確立
伊賀焼は大和地方(奈良)に近く、奈良朝の歴史文化の影響を受けて発展をします。
室町時代末期・享禄の頃(1528~1532)に陶工である太郎太夫・次郎太夫により伊賀焼を再興・確立されたという説もございます。
伊賀には太郎太夫・次郎太夫の二人を「伊賀焼の陶祖」という伝説が残されているほどです。
古伊賀の時代
その後、茶の湯が盛んになると天正12年(1608年)に伊賀領主となった筒井定次らにより、交流のあった武将茶人の古田織部と協力し伊賀焼による茶陶が焼かれるようになります。
お庭焼として窯は上野城内の窯、槙山の西光寺窯や丸柱の堂谷窯があったとされます。
その作風は豪放で力強く破格の美意識を持ち、織部好みとして評されました。
慶長13年(1608)に伊賀藩主が藤堂高虎になった後も作り続けられます。
筒井定次が藩主の時代にのものを「筒井伊賀」、藤堂高虎が藩主の時代のものを「藤堂伊賀」などとも呼びます。
そしてこの桃山時代から江戸時代初期に掛けて焼かれた、茶の湯に使われる器を現代では「古伊賀(こいが)」と呼びます。
古伊賀は主に茶壺、水指、花入が作られ、ヘラ工具による波状の文様や格子状の押し型文様、独特のゆがみをもちます。
無釉の素地を高温で焼くことで松灰と炎で自然に作り出す緑色のビードロ、灰かぶりや焦げ、鉄釉を垂らすことによる景色は「侘び・寂び」を感じます。
衰退と再興伊賀
寛文9年(1669)藤堂高久(たかひさ)の時代に伊賀陶土の濫掘を防ぐための「御留山の制」を設けた際に、多くの陶工が信楽に移り一時衰退しました。
しかし、18世紀に藤堂高嶷(たかさと)が作陶を奨励したことで「再興伊賀」の時代を迎えます。
瀬戸の陶工からもたらされた施釉技術などにより、施釉陶の日常雑器や茶器、古伊賀写しなどが作られました。
茶陶であった古伊賀はこのように現代まで続く陶磁器の産地として広がっていくのです。
古伊賀の特徴
古伊賀は個性的な特徴を持ちます。
まずは形で、中国陶磁などの左右対称の均整の取れた美しさに対し、古伊賀は歪みの美を持っています。
「破調(はちょう)」や「破格(はかく)」の美ともよばれ、桃山時代を代表する美意識の一つです。
ひしゃげや傾き、大胆な箆彫り、そしてひび割れ、同じものは一つとないともされ、一見すると失敗作のように見える作品にも個性として茶人により愛でられました。
伊賀焼といえばこういった豪放な作風が美術館に収蔵され目立っておりますが、実際には一部にすぎず、当然ながらもっと素直な形の陶磁器も作られております。
古伊賀に現れる景色
古伊賀は釉薬を掛けない焼締陶器という種類の一つです。
釉薬を掛けずに1200度から1300度の高温で焼成することで強度が高くなり、水を通さない性質を持ちます。
基本的に釉薬を掛けませんが古伊賀ではその器面は色とりどりの表情を見せます。
ビードロ釉
素地の表面に焼成中の薪の灰が付着することで溶け、自然釉により青緑色のガラスのような透明釉となり「ビードロ釉」として雫のように流れます。
火色
窯内の火や温度の状況により、素地に含まれる鉄分の酸化などにより器面が赤褐色や黄褐色に変化をします。
焦げ
焼締陶器は「匣鉢」に入れずに焼くため、陶器が直接火や灰に触れます。
それにより黒変して黒く焦げた状態になります。
本来は品質を下げるものですが、茶陶はこれを景色として楽しみます。
鉄釉
鉄を呈色剤として用いた釉薬をかけることにより、古伊賀では耳などを茶色や黒に装飾いたします。
当オンライン美術館で見れる伊賀焼
古伊賀沓茶碗
緩やかに開きながら立ち上がり、口の下方と胴には箆彫りを入れる力強い形。
淡いオレンジ色に焼き締められ、器面の全体から素地の陶土に含まれる長石が白い粒として吹き出します。
口縁は内外は面取りされビードロ釉が掛かり、一面は流れ高台脇に溜まります。
見込みの灰が降りかかることによる細かな斑点模様は、口が窄まることで円形の景色を作り出します。
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古伊賀壺
釉薬を掛けずに焼き締められ、肩には灰が降りかかったことによる黄色いフリモノがございます。
窯内の環境のムラにより、黒色や灰色の焦げ、そして赤い土がそのまま残り色の変化により模様を作ります。
小石を多く含み、よく乾いた荒い土を使用しており、ところどころに石ハゼがございます。
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伊賀焼は桃山時代から江戸時代を代表する茶陶として一見の価値がございます。
当オンライン美術館でも伊賀焼の陶磁器を幾つかコレクションしておりますので、是非ご覧ください。
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