中国の宋時代の陶磁器は「宋磁」と呼ばれ、古陶磁器・古美術品の歴史において必ず語られるほど重要です。
中国陶磁の歴史のみならず、世界的にみても宋代は最も完成度の高い陶磁器を生み出した時代と言われます。
唐代末からの宋代にかけて窯の技術が進歩し、それまでに無かった陶磁器を作り出せるようになり、日用品としても陶磁器が使用され産業として盛んになりました。
宋時代には5大名窯とも呼ばれる窯があり、定窯(ていよう)、鈞窯(きんよう)、官窯(かんよう)、汝窯(じょよう)、哥窯(かよう)の生み出す青磁や白磁は今でも賞賛されております。
また、曜変天目で有名な天目茶碗の産地である建窯(けんよう)があるのもこの時代です。
宋代の歴史とともに五大名窯とほかにもある様々な名窯について特徴や、読み方も解説をいたします。
目次
中国・宋代の歴史
中国の王朝で960年に後周の趙匡胤(ちょう きょういん)が建国し、皇帝の独裁制を樹立いたします。
979年には五代十国の騒乱を終わらせ、第2代の皇帝の太宗により再び中華統一をいたします。
しかし、北方の遼・金との緊張は続き1127年に金に華北(中国北部)を奪われ、宋は南遷をし再建することとなります。
この960年から1127年までの汴京(現在の開封市)に首都があった頃を「北宋(ほくそう)」、南遷した1127から1279年までの首都が臨安 (現在の杭州市)にあった頃を「南宋(なんそう)」と呼び分けます。
北宋と南宋で大きく地域が変わっているものの、文化は継続性が強く、陶磁器も窯こそ失えど技術を継承し新たな窯が開かれます。
宋代には文官を重用した文治主義が取られるようになり、江南の開発も相まって、商工業が盛んになります。
様々な生産力が発展し、農業の発展、青銅・製鉄・窯業の技術的発展をしていきます。
それに伴い貨幣経済も活発となり、大量の宋銭の発行や更には北宋では世界最初の紙幣である交子(こうし)が、南宋では紙幣の会子(かいし)が用いられました。
宋代の陶磁器の発展と流行
唐の時代でも生活の場で陶磁器が使われていましたが、特別品質の良いものは使っていなかったと考えれらます。
特別なものは貴族のためのもので、宮廷で使うものや、唐三彩なども貴族のお墓に納める副葬品でした。
唐末から五代の時期になると陶磁器を日用品として使う人が増え、急激に窯が増えるようになり、商業として陶磁器が商品として扱われるよう変化をしていきます。
そして宋代にかけて陶磁器は、生活の中での利便性を求めた形を考えるようになり、機能美を求めて工夫を凝らし作られています。
日常使用の陶磁器を美しさを求め、器種・器形とも多様化してき、また非常に沢山の窯が各地に起こり、それぞれが工夫を凝らした器形・釉・文様の点で特徴のある陶磁器を作り出しました。
焼くための窯の技術も進歩し、1000度以上の高火度焼成が可能になり、硬く焼きしまった陶磁器の焼成や釉薬をより溶かすことができムラのない鮮やかな釉調になっていきます。
こうした背景から宋代の陶磁器は活発化し、一躍有名となっていきます。
5大名窯などと呼ばれるのも宋代のみであり、定窯(ていよう)、鈞窯(きんよう)、官窯(かんよう)、汝窯(じょよう)、哥窯(かよう)はそれぞれが特徴的な陶磁器を作り上げます。
青磁、白磁、鉄釉が陶磁器の中心となります。
青磁
汝窯、南宋官窯、耀州窯、龍泉窯、哥窯などが代表的です。
この頃にまず価値が高いものとされたのは青磁で、唐代の越州窯などと比べてもより青に近い青磁を生み出せるようになります。
特に北宋時代の汝窯、南宋時代の南宋官窯や龍泉窯の色は唐代と比べて明らかに綺麗な緑青色です。
龍泉窯の青磁は多く日本へ輸出がされました。
白磁
定窯、景徳鎮窯が代表的です。
唐代から続く定窯は北宋になると純白の胎土に象牙質の釉薬のかかった薄く焼きしまった美しい白磁を生み出します。他にも景徳鎮では青磁釉の系統である釉薬で焼く青白磁が焼かれ、現代まで続く名窯となります。
鉄釉の茶碗
建窯、吉州窯、磁州窯などが代表的です。
宋代には闘茶や点茶がブームとなり、美しい茶を引き立てる手のひら大の茶碗が流行します。
この頃のお茶は泡立てた白いものであり、それを引き立てるものとして黒い茶碗が焼かれるようになります。
その中で生まれたのが日本でも曜変天目で有名な天目茶碗です。
建窯を代表とし、磁州窯や吉州窯などでそれぞれの地域の特性を活かし製作がされます。
天目茶碗は日本でも室町〜安土桃山時代の茶の湯でも大名から珍重されました。
それでは代表的な宋代の名窯をご紹介させていただきます。
汝窯(じょよう)
北宋時代の末期ごろの河南省にあったと言われている青磁窯で、宮廷御用達の北宋官窯でした。
汝窯の生産期間は短く、20年ほどしか生産がされていないため、汝窯と認められている作品は世界でも100点にも満たない程度で希少とされます。
しかし、100点しか残っていないということは考えにくく、近年になり汝窯の青磁とされる陶磁器が発見され出しています。
華北の窯の特徴として白い土を素地に底の裏まで釉薬をかけ、底の釉薬が窯に触れないよう、焼成時に支持具をつけて焼いていました。
そのため、底部には3〜5点の針目跡が残るのが汝窯の特徴です。
釉色は「雨過天青(うかてんせい)」とも言われる、雨上がりの空色に例えたしっとりとした薄い水色で、中国陶磁最高の美しさです。
ガラス質や光沢あまりなく、貫入はほとんどないか、あっても細かいものです。
釉薬に瑪瑙(メノウ)の粉を入れており、ピンク色の淡い光沢が現れるものも汝窯の特徴です。
宋代五大名窯のひとつです。
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定窯(ていよう)
河北省にあった北華の民窯で中国陶磁の中で磁器質の白磁を初めて完成させた窯とも言われています。
晩唐から胎土の磁器質が続き、北宋の頃にはそれがさらに鮮麗され、純白で硬く焼きしまり、薄く光にかざす透けるほどです。
最大の特徴として、「刻花」や「印花」といった技法で器面に模様を彫ります。
その上から象牙色の釉薬がかけられ、さりげなく浮かび上がる模様はとても上品です。
その美しさから朝廷から認められ、朝廷のための貢納品にもなりました。
宋代五大名窯のひとつです。
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越州窯(えっしゅうよう)
浙江省慈渓市やその周辺にあった青磁窯で漢代末から続きます。越窯(えつよう)とよ呼ばれます。
唐時代から五代時代にかけて最も隆盛し「秘色(ひそく)」と呼ばれた美しいオリーブがかった色の青磁を焼きました。
この青磁は朝鮮や日本にも渡り、それぞれの国の青磁生産に影響を及ぼすほどです。
北宋初頭まで続き、より緑色の濃い青磁を焼き続けますが、11世紀中頃には残念なことに衰退をしてしまい、青磁の生産は龍泉窯に取って代わられることになります。
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耀州窯(ようしゅうよう)
陝西省にあった華北を代表する青磁窯で唐代から続き、北宋時代に最も隆盛しました。
素地に鋭く鋭利な彫紋様や型押し紋様を施す陰刻の青磁が有名です。
耀州窯は唐代の越州窯と並び朝鮮半島へ多く伝わり、高麗青磁に影響を及ぼしています。
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磁州窯(じしゅうよう)
現在の河北省およびその周辺にあった窯で、数少ない現在まで続く日用品を大量生産している民窯です。
唐代末から始まり、北宋時代が最盛期となります。
胎土に施した白土や黒釉を削り取り模様を描く、「掻落し(かきおとし)」という技法を用いた陶磁器が有名です。
他にも天目茶碗を焼いており、黒釉の上に柿釉で模様を描く「河南天目(かなんてんもく)」などがございます。
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景徳鎮窯(けいとくちんよう)
景徳鎮は世界的に有名であり、中国を代表する窯の一つで江西省景徳鎮市周辺にある、今なお続く陶磁窯です。
五代から続き、当時は「昌南鎮」よ呼ばれていましたが、北宋の時代に皇帝より「景徳鎮」の名を授かります。
近隣で採れる高嶺(カオリン)土と呼ばれる磁器質の白い胎土を使用し、北宋の頃には青磁釉を基としたやや青みがかった白磁である「青白磁」を焼いておました。
元時代や明時代に進むにつれ、より白い白磁やコバルトで模様を描いた青花と呼ばれる磁器が作られるようになり、日本の陶磁器へ大きな影響を与えることとなります。
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南宋官窯(なんそうかんよう)
南宋時代の青磁窯で、宮廷が管理し、宮廷や政府のための陶磁器を焼造した官窯です。
官窯というもの自体は各時代にありましたが最も有名な官窯は南宋官窯になります。
場所は浙江省杭州にあった修内司(しゅうないし)官窯や郊壇下(こうだんか)官窯などに複数あったと考えられています。
宋代五大名窯のひとつとされるほど美しい青磁を焼きましたが、宮廷用という点や高級品という点から日本への輸入はあまりされず、知名度や情報が少ない窯でもあります。
南宋は鉄分を含んだ黒い土を精巧に薄く形作り、特に高台はその薄さが際立ちます。
粒子が細かい釉薬を何重にも厚く掛け、ガラス質が厚く、汝窯とは違い大きめのはっきりとした貫入が入ります。
青緑色の釉薬は落ち着きながらもしっかりとした美しい色合いです。
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鈞窯(きんよう)
宋から元まで続いた河南省にあった窯で汝窯の影響を受け、青磁などの陶磁器を焼きました。
その中でも鈞窯の澱青釉は珪酸とリンを成分に含むことで、青磁とは違う鮮やかな美しい青さを持つ陶磁器です。
さらにその澱青釉に紫紅釉の紫色の斑紋をつけられた陶磁器は妖艶で独特な魅力です。
官窯ではないものの宮廷からの依頼を受けて作られるほど愛されていました。
宋代五大名窯のひとつです。
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龍泉窯(りゅうせんよう)
南宋を代表する青磁窯で中国浙江省龍泉県にございました。
日本で最も有名な中国の青磁窯で、鎌倉時代から室町時代に多く日本に輸入され、皇室や大名の間で珍重されました。
後に重要文化財となるものもございます。
灰色がかった白い生地に水色の青磁釉が掛けられ、「粉青色釉青磁」などと称され、美しい青磁を焼きます。
これが日本では砧(きぬた)青磁とも呼ばれています。
元、明時代にまで続き、その時代ごとにさまざまな色合いの青磁を生み出します。
大量生産をする民窯であり、多くが海外へ輸出され、注文により大型な壺や精細な装飾がされた陶磁器など様々なものが作られました。
その高い技術が評価され、宮廷に納める品が作られた他、龍泉窯の一部は官窯であったとも言われています。
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哥窯(かよう)
哥窯は南宋にあった青磁窯で、伝説的な窯とされ不明点も多い謎めいた窯です。
龍泉窯の陶工であった章生一、章生二兄弟の内、兄の生一が開いたとされ、中国語で兄を意味する「哥」を使い哥窯と呼ばれました。
青緑の青磁も焼いたが、特徴的なのは白い青磁です。
白ならば白磁なのでは?と思うかもしれませんが、灰青釉から緑色の発色をする成分を取り除いた青磁釉に分類されます。
独特の白い釉面はガラス質をほとんど含まない失透性の釉薬で、器面にはとても大きめの黒い貫入が入り白とのコントラストがとても映えます。
宋代五大名窯のひとつです。
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建窯(けんよう)
南宋時代に福建省建陽県にあった民窯で日用品を中心に焼いていました。
茶葉の生産地であったことから喫茶文化の流行により発展をし、黒い茶碗「天目茶碗」を生み出します。
鉄分を含む黒いねっとりとした土に鉄釉(天目釉)を一度掛けて焼成し黒い茶碗を焼きますが、その釉薬が窯変現象により成分が分離をすることで様々な模様の天目を生み出します。
有名な曜変天目や油滴天目、禾目天目など様々な模様の天目茶碗が焼かれ、茶の美しさで競う闘茶などで用いられていきます。
これらの茶碗は日本でも室町時代を中心に茶の湯で大名に珍重され、今では国宝や重要文化財となっています。
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吉州窯(きっしゅうよう)
南宋時代に現在の江西省吉安にあった窯で、建窯に並ぶ天目茶碗の産地です。
同じ天目でも建窯とは大きく違い、鉄分の少ない白い陶土に釉薬を2度掛けたり、垂らしたりし、人為的な作風の天目茶碗を焼いておりました。
茶碗に型を置いて釉薬で模様を書く「玳玻天目鸞天目(たいひてんもくらんてんもく)」や上から不規則に釉薬を垂らす「鼈甲盞」などが有名です。
他にも本物の木の葉を置いた「木葉天目(このはてんもく)」など創意工夫がされています。
こちらも日本にて室町時代に茶の湯で珍重され、国宝や重要文化財になっています。
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宋代の陶磁器を見るなら当オンライン美術館へ
少し長くなりましたが実はまだ書き足りないほど、宋代の陶磁器の歴史は語れることが沢山ございます。
書ききれなかったそれぞれの窯の細かい点はリンクから是非ご覧くださいませ。
当館では宋代の陶磁器を中心に収集をしており、数多く掲載しております。
このページでは掲載しきれなかった写真も豊富で、美術館では確認の難しい釉調や土、高台の様子まで載せておりますので、是非お楽しみください。
下のボタンから宋代の陶磁器一覧を見ることが可能です。
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