薩摩焼は鹿児島を代表する陶磁器で、黒薩摩や白薩摩といった陶磁器が有名です。
薩摩焼は今でも作り続けられていますが、江戸時代後期に万博に出品されることで有名になりました。
庶民のための黒薩摩と工芸品としての白薩摩、その特徴や歴史について、所蔵美術品の写真を用いて解説いたします。
薩摩焼(さつまやき)とは
薩摩焼は鹿児島県で生産される陶磁器で、400年前に薩摩藩主の島津義弘(しまづよしひろ)により始められました。
薩摩焼の古窯跡は50箇所ほどあり、竪野(たての)系、龍門司(りゅうもんじ)系、苗代川(なえしろがわ)系、西餅田(にしもちだ)系、平佐(ひらさ)系、種子島(たねがしま)系の6種類ございました。
現在でも残っているのは苗代川系、竪野系、平佐系となります。
作られる陶磁器は白もんと呼ばれる「白薩摩」と黒もんと呼ばれる「黒薩摩」に分けられます。
薩摩焼の歴史
薩摩焼の歴史は戦国時代の1592~1598年(文禄元年~慶長3年)に行われた「文禄・慶長の役」、通称「朝鮮出兵」より始まります。
その際に薩摩藩主の島津義弘が朝鮮より連れてきた80名の陶工により、薩摩藩各地に窯を開いたことで薩摩焼が誕生しました。
そのようなことから別名「焼き物戦争」とも言われます。
その中には薩摩官窯の開祖になる名工金海(きんかい)や朴平意(ぼくへいい)などもおり、薩摩藩内にそれぞれ窯場を開き、それぞれの陶工が独自の特徴を持った陶磁器の製作を行い、これが流派へと分かれ、現在まで受け継いでいきます。
1687年(慶應3年)の江戸時代から明治時代の変遷期になるとパリ万博が開催され、薩摩藩は薩摩焼を出品いたします。
この時出品されたのは白薩摩で象牙質の美しい生地に金彩と色彩模様の美しさが高く評価されます。
海外でも「SATSUMA」と呼ばれ欧米の市場で大変人気となり、藩の主要な産業として海外貿易品となります。
2007年にはフランス国立陶磁器美術館において「薩摩焼パリ伝統美展」も開催され現代においても高く評価がされています。
薩摩焼の特徴
薩摩焼は大きく分けると「白もん」と呼ばれる「白薩摩」と「黒もん」と呼ばれる「黒薩摩」の二つに分けられます。
この二つは色だけでなく装飾や器形にも違いがございます。
白薩摩(白もん)
白薩摩は象牙質のクリーム色の生地に透明釉が掛けられた陶磁器です。器面には赤や青、緑、黄色といった鮮やかな絵の具で絵付がされます。さらには金彩で細かい模様を施した華やかなものもや、透彫がなどの造形も特徴的です。
朝鮮のような美しい陶磁器を生み出すため、薩摩藩に命じられ作り始められたのが白薩摩でした。
しかし、朝鮮のような白磁に適した土が見つからなかったため、代わりに白土で陶磁器を作りましたが、これを島津家に献上したところ大変喜ばれ薩摩焼と名付けられました。
江戸初期に誕生した白薩摩で使われている白い土は薩摩領内のごく一部でしか取れなかったため、白薩摩自体も貴重品とされています。
白薩摩で特に品質が高いものは島津藩や大名に献上がされ「献上薩摩」とも呼ばれていました。
黒薩摩(黒もん)
対して黒薩摩はさらに歴史が古く、主に茶碗などの実用品や日用品が焼かれておりました。
模様もあった白薩摩に対して黒薩摩は黒釉薬一色で重厚でどっしりした雰囲気が魅力的です。
黒薩摩に使われる土は豊富に採れる黒褐色の土で作っており、庶民はその土で作った黒薩摩のみ使用することが許されました。
当美術館の収蔵の薩摩焼
白薩摩御庭焼花瓶
御庭焼(おにわやき)とは藩が自らの庭に築いた窯で焼いた陶磁器のことです。
当品は1853年頃に島津斉彬(しまづなりあきら)が磯別邸内に築いた斉彬御庭焼と考えられます。
首、胴、裾に純金を用いた金彩と赤、青、緑の絵の具を用いて、とても緻密に模様が描かれどうて豪華絢爛で美しい花瓶です。
各面で模様が違い、一面は金彩で竹を三角の格子状に編み雲文と組み合わせ、もう一面は菱形模様と雲紋を組み合わせております。
↓この陶磁器の詳細はこちら↓
江戸時代の陶磁器を見るなら陶磁オンライン美術館で
当オンライン美術館では薩摩焼以外にも江戸時代の陶磁器の美術品を多数掲載しています。
有馬焼、備前焼、九谷焼、御深井焼など江戸時代を代表する名品を取り揃えてますので是非、ご覧ください。
コメント