李朝白磁(りちょうはくじ)とは|青花や分院官窯などの朝鮮半島の白磁の特徴や歴史

白磁はその名のとおり白い陶磁器であり、中国で誕生し、朝鮮半島に伝わり高麗青磁に代わるものとして珍重されました。
朝鮮半島の白磁は14世紀から19世紀末まで作られ、日本の伊万里焼などに大きな影響を及ぼしました。
李朝白磁は無地のものから始まり、続けて青花(染付)が生産されます。
そのようなルーツもあり、歴史深い李朝白磁について特徴や歴史を解説いたします。
李朝白磁の購入方法も説明いたしますので、お探しの方はご参考ください。

そもそも白磁(はくじ)とは

白磁とは白い陶磁器のことを指します。
白い土に透明の釉薬をかけて焼いた物が代表的な白磁ですが、白土が見つからない時代や地域では、灰色がかった土などに白泥を塗り、その上から透明釉で白磁を作ることもございました。
特に李朝白磁の初期の品は後者のように白泥を塗ったものや、半透明の釉薬を掛けたものが多くございます。
また、李朝白磁と言いますが、李朝の白磁は青花(染付)や鉄砂(鉄絵)も含んで語られることが多いです。

李朝白磁の歴史

白磁のルーツは諸説ありますが、白磁と呼べるものとしては中国の6世紀の北斉といわれます。
その頃の白磁は今ほど白いものではなく、やはり薄い黄色や灰色の土に白泥や半透明の釉をかけたものでした。
その後、北宋の頃になるとより白い土が見つかるようになり、邢州窯や定窯などの窯で白磁の名品が数多く作られていきます。

朝鮮半島では9~10世紀ごろから現在の仁川広域市において、陶胎で白みがかった焼き物が作られ、高麗時代の12世紀には全羅北道扶安(ふあん)郡柳川里にてわずかに作られます。

高麗白磁鉄絵桃形水滴

14世紀頃の高麗白磁鉄絵桃形水滴

その後、中国の影響を受けて朝鮮半島でも高麗時代の14世紀頃から白磁が多く作られるようになり、李氏朝鮮時代の15〜16世紀頃には代表的な白磁や青花が生み出されます。
王権の象徴ともなる白磁や青花(染付)は1460年代には道馬里(とまり)にて王朝専用の官窯が設置されました。
この官窯は司饔院(しよういん)分院と呼ばれ、集中した管理体制で生産が行われます。
青花の絵付けは、都の画院から画家が派遣されたといわれており、美しい筆致の作品がわずかに残されています。
この頃の白磁は日本にも伝わっております。
均整の取れた中国の景徳鎮の白磁に比べ、朝鮮半島の白磁は土が粗く形もややいびつでどこか温かみを感じ、日本人に好まれやすいものでした。
しかし文禄・慶長の役や清の侵略を受け一度衰退をし、青花の顔料のコバルトが不足することにより、鉄絵の具の釉下彩である鉄砂(てっしゃ)が盛んになります。

李朝中期16〜17世紀ごろの鉄絵

李朝中期16〜17世紀ごろの鉄砂(鉄絵)

18世紀前半には官窯は金沙里窯(きんさりよう)に移り、少ないコバルトを生かし、簡素ですが主題を引き立てるよう描いた模様は朝鮮半島独自の青花、白磁の美しさを作り上げました。
18世紀中頃には官窯は分院里(ぶんいんり)に移り、さらに安定した生産をし全盛を迎えました。
この分院里の白磁は厚みがあり均整が取れ、分院手(ぶんいんで)という通称として愛好家から高い評価を受けております。

1883年に分院里窯は民窯となり、官窯の歴史は閉じ、官窯ほどの美しい白磁は作れなくなりました。
しかし、19世紀以降も民窯として各窯で白磁は作り続けられていきます。

李朝白磁の特徴

李氏朝鮮時代は長く、李朝の白磁は時代により大きく変化がございます。
おおむね14世紀から道馬里窯の16世紀ごろを李朝初期、17世紀〜18世紀中期で金沙里窯で作られていた品も含む李朝中期、1752年以降の分院里窯で作られた李朝後期に分けられます。

李朝初期の中でも15~16世紀頃は粉青沙器が隆盛し、そして衰退した時期です。
その後に白磁に注力し完成されていきます。

李朝白磁提灯壺

初期:15世紀頃の李朝白磁の釉調と胎土

初期には陶土にきめ細かい白土を上塗りして白くする技法を用いた素朴な品や酸化コバルト釉で絵付けをした品がございます。
また、道馬里窯に官窯が置かれてからは硬質の土を使われた白磁も増えていきます。
器胎は薄めで丸みを帯びた形が多く、どちらも白灰色の釉調が特徴です。

李朝染付辰砂鹿鶴文面取瓶

初期から中期:青花の釉調と模様

李朝中期になると器胎の色が乳白色となり、形も均整が取れより美しくなります。
この頃から中国の意匠から脱しており、青花の絵付けなどは独自のものとなり気品のある品が作られていきます。

Joseon Dynasty Blue and White Porcelain square-shape Bunwon Ware Bottle

後期:分院窯の釉調と青花の模様

李朝後期は中期に似ていますが、分院里窯に移ると器胎は厚くずっしりし、角が立った洗練された印象になります。

当美術館掲載のおすすめの李朝白磁

李朝白磁大壺

李朝白磁壺形は底から腰が細く、胴で大きく膨らみ、口にかけてまた細くなる形状で、李朝の初期に見られる大壺です。
高台がなく珍しい平らな底で、熱によりやや膨らんでいます。
口にも段差はなく肩から滑らかにつながります。
この手のものは大きさが30cm〜42cm程度であるが本品は35cm級で李朝白磁壺の中で一番価値が高いとされ、傷がなく残されているものは多くはございません。
やや黄褐色ぎみの釉薬が全体にかけられるが、釉縮みや色ムラがあるのも李徴の初期の白磁らしいとも言えます。

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李朝分院手染付角徳利

李朝分院手染付角徳利李氏朝鮮時代に官窯である分院にて焼かれた白磁染付による徳利です。
分院は均整のとれた器形に美しい白色の釉薬で作られ品質は非常に高く、その染付の図柄は都から派遣された画院の絵師によるものであったとも言われております。
朝鮮半島の国鳥とも考えられる鵲(かささぎ)が描かれる希少な品です。

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青花陽刻菊花文水滴

青花陽刻菊花文水滴

水滴は少量の水を硯に注ぐ道具で朝鮮半島では文具四宝とも言われるほどで、特に染付の品は一部の文人のみが使えるような品です。
菊花文は主要な模様の一つですが、水滴に陽刻として施されているものは珍しく、美術館でもなかなかお目にかかることはできません。
細かく菊の頭花を表現し外輪に18枚程度、内輪に13枚程度を2段に盛り上がる形で立体的に表現がされます。
焼成時の石や砂の付着により読み取ることはできませんが、底面には染付にて銘がされています。
文人は目で見て、手で触ってこの水滴を楽しんでいたことでしょう。

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李朝白磁は長い李氏朝鮮時代の歴史で一番作られた陶磁器で伊万里焼などの日本の陶磁器にも影響を及ぼしました。
コレクターの人気も高く、今でも骨董品の市場では一定数の人気がございます。
当美術館では厳選したその中でも白磁の美術品を掲載しておりますので是非色々とご覧いただき、中国や日本の白磁などとの違いを楽しんでいただければと思います。

李朝白磁の購入方法

李朝白磁は中期から後期の品は比較的数も多く、代表的な品は骨董品の市場でも入手ができます。
また、金額もそこまで高価ではなく、中国の品に比べても贋作の割合は比較的少なめです。
一級品の品を求めない限り、骨董市や骨董屋、またインターネットなどで選ぶことができます。

李氏朝鮮時代後期から末期のものであれば5万円前後から市場で見ることができます。
李朝の官窯である分院手の優品は10万円から50万円代まで跳ね上がります。
ただ、李朝初期〜中期の大型の壺となると価値が高く、100万円以上の価格になってきます。

当美術館でも公式ストア「燦禾」で厳選した李朝白磁を販売しておりますので、よろしければご覧くださいませ。

燦禾の李朝白磁

 

伊山大策

名古屋ビジュアルアーツ写真学科在学中より瀬戸焼の陶芸作品撮影を続ける。11年前に愛知の古美術研究にて陶磁器の知識を学ぶ。写真スタジオに3年勤務したのち、広告やWEBサイトの制作を手掛けその経験を活かし、古陶磁美術品の良さを広めるために当サイトを開設いたしました。

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